2022年7月25日月曜日

critical thinkingはどうすれば備わるのだろうか

 75年近く生きてきたが、こんな世の中になろうとは思ってもいなかった。子供の頃に身の周りにあったものが次々と失われ、新しいものがどんどんと生まれて、暮らしは随分と便利になり豊かになったものの、眼の前には延々と不透明な寒々しい風景が広がっている。われわれはどこから道をはずれてしまったのだろうか?

かつての白井聡「永続敗戦論」や、最近出た山崎雅弘「未完の敗戦」などでは、今の日本の閉塞感の由来を先の敗戦の総括がなされぬまま、旧体制の精神文化がいまだ支配的であるところに求めている。

そして民主主義と基本的人権尊重という戦後の精神に日本人が馴染んでいくためには、なによりもcritical thinkingが各人に備わっていなければならず、それを阻むものが、社会のいたるところに蔓延っている、として、これへの批判を広く行っている。

そうであれば、critical thinkingを備えていくために、われわれは何をすればよいのだろうか?ということが当然の課題となる。主体の側が身に備えるべきもの、社会の側に配備を求めるべきもの、それらを明らかにして整理して、実践の指針として示される必要があろう。

それを提示し実践を促す主体の出現が待たれる。