2013年8月29日木曜日

今朝読んだProustの一節



 Une femme est d'une plus grande utilité pour notre vie, si elle y est, au lieu d'un élément de bonneur, un instrument de chagrin, et il n'y en a pas une seule dont la possession soit aussi précieuse que celle des vérités qu'elle nous découvre en nous faisant souffriré.

        ALBERTINE DISPARUE  CHAPITRE PREMIER 
    「À la recherche du temps perdu(Quarto Gallimard)page1977」

 女は、われわれの人生にとって幸福の一要素ではなく、悲しみをもたらすものとなるとき、最も有益であり、そして、その女を所有することと、その女によって苦しめられて発見するさまざまな真実を所有することとを、等しく貴重なものにしてくれる女はひとりも居ないのだ。


 今朝はこの言葉にうんうんと深く頷いてしまった。

                                                (2013年8月29日記)



2013年8月28日水曜日

緑陰の読書


  わが家の前の公園にある雑木林の陰に小さな東屋が建っている。
 
 今年の夏は例のない暑い日が続き、冷房のない室内は30度をはるかに超えてしまうので、6月の半ばからこの東屋で毎日午後のひと時を過ごした。背もたれのある折りたたみ椅子に凭れて、炎天の午後、人気のない東屋で蝉の鳴き声を聴き、蚊に刺されながら、冷たい水で時折喉を潤して、読書と居眠りに2ヶ月あまりの時を過ごした。

 もう50年近くも前に、大学受験のため、ひと夏滋賀の親戚の家に近いとある寺の境内で、終日、受験参考書を開いて眺めていた時以来のことであった。しかしその時とは異なり、義務としての学習から離れてただ気の向くままに読書に耽ることができたのは、実に愉快だった。世阿弥、南畝、芭蕉、周平、プルースト、ブラウン神父たちの世界に遊んで味わった楽しさは、この夏の猛暑の恵だった。

 朝夕冷涼な気配が漂い始めた今、過ぎ行く夏に感謝しつつ、この猛暑の恵を記憶のうちに留めんとして記す。

    木蔭にて浪漫楽しや蝉時雨

                            (2013年8月28日記)