2014年4月28日月曜日
囲碁十段戦と棋院のホームページ
最近行われた囲碁十段戦で、挑戦者である日本棋院の高尾九段が関西棋院の結城十段を3勝2敗で破ってタイトルを獲得したが、両棋院のホームページでその結果を知らせる記事の扱いが実に対照的だった。
4月21日に行われた最終局での高尾九段の勝利が日本棋院のホームページに掲載されてから、ものの5分もたたないうちに棋士欄には「十段 高尾紳路」と写真入で出たが、かたや関西棋院では「十段 結城聡」と翌日もそのままの扱いになっていて、たしか翌々日にようやくひっそりと抹消されたように記憶している。さらに、日本棋院のトップページには、「高尾紳路が十段奪取!」と題されて高尾十段のにこやかな笑顔の写真が掲載されているが、これは4月21日の記事なので1週間もそのまま続いているのだ。これを見ると日本棋院は東京本院所属の棋士がタイトルを獲得して無冠を脱したことがよほど嬉しかったとみえる。関西棋院はタイトルを失った結城九段への配慮もあってか、ややあって後、粛々と処理していた。
両棋院のホームページでの扱いを見ていると、勝者側と敗者側の態度の違いが明白で、昨今では「得意冷然、失意泰然」という成句がもう通用しないのかなと思われた。
(2014年4月28日記)
2014年4月1日火曜日
大将がばかであるゆえに起こってくる結果は、同じようなばか者を重用するということである
和辻哲郎「埋もれた日本」を読んでいたら、次のような一節があった。
武田信玄の老臣高坂弾正信昌が、勝頼の長篠敗戦のあとで、若い主人のために書き綴ったといわれる『甲陽軍鑑』に、「我国をほろぼし我家をやぶる大将」のことが語られていて、
《大将がばかであるゆえに起こってくる結果は、同じようなばか者を重用するということである。そのばか者がまた同じようなばか者に諸役を言いつける。したがって家中で「馳しり廻るほどの人」は、皆たわけがそろってしまう。そのたわけを家中の人が分別者利発人とほめる。ついに家中の十人の内九人までが軽薄なへつらい者になり、互いに利害相結んで、仲間ぼめと正直者の排除に努める。しかも大将は、うぬぼれのゆえに、この事態に気づかない。百人の中に四、五人の賢人があっても目にはつかない。いざという時には、この四、五人だけが役に立ち、平生忠義顔をしていた九十五人は影をかくしてしまう。家は滅亡のほかはないのである。》
最近これと似たことがどこかの国とその国の放送局であったように思うのだが・・・
(2014年4月1日記)
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