2013年6月12日水曜日
エラリー・クイーン「Xの悲劇」を読む
エラリー・クイーンの探偵小説「Xの悲劇」(1933年刊)を角川文庫で再読した。訳者は越前敏弥。
初読はもう40年も昔のことで、手元にあるその時の鮎川信夫訳(創元推理文庫)は1968年の16版である。越前訳はなかなかキレがあつて、滑らかに心地よい気分で読むことができた。活字が大きいのも助かる。
冒頭のニューヨーク市電の中での殺人の場面がぼんやりと記憶に残つているだけで、その後の筋は殆ど忘れていた。そうか、こんな複雑な内容だつたのか、と読後改めて驚いてしまつた。
3つの殺人が行われ、ドルリー・レーンという60歳になる老シエイクスピア俳優がそれらの解決を図るのだが、手がかりはすべて作中に提出されていて、成程言われてみれば、という鮮やかなものばかりである。論理的な推理に従つて真相が順次明らかになつてゆく、その運びがもたらしてくれる独特の酩酊感に浸ること、それが本格探偵小説を読む楽しみであるならば、それは十分に満たされて、今も猶その酔いが回つている。
ただ、第1と第2の殺人での手袋の処理や死体の損壊の仕方には少し気になるところがあり、そこで用いられている方法では犯人のリスクが相当大きいはずで、結果的にうまくいつたことになつているが、ここは話の運びがやや無理気味であると思う。
なお、名探偵ドルリー・レーンの人物描写には、いかにもアメリカ人作者らしく大仰な英雄賛美趣味が溢れているが、ごく素直に受け止めて読み流した。また、女性第一のお国柄にもかかわらず、女性の登場人物については総じて辛口の扱いが多いが、これは果たしてどういうわけなのであろうか。
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