2013年10月8日火曜日
丸谷才一全集のこと
「日々平安録」というブログサイトによくお邪魔する。ブログ主が入手された本について読後感を長らく書き続けておられるが、その御見解には賛同するところが多く、ひそかに敬意を抱いて拝読している。
このブログに時々丸谷才一に触れた文章が載ることがある。その内容には一読して膝を打たしめるものがあり、丸谷に対する評価には常にもろ手を挙げて賛同してきた。
「遊び時間」という評論集が刊行された頃から、丸谷の書いたものは殆ど手に入れて読んできたが、ブログ主がおっしゃるように、小説は「たったひとりの反乱」までの初期のもの以外は面白くなく、随筆集は当初その包丁さばきに洒落たものを感じたが、後にはいずれも同工異曲となって新鮮味に欠けるため、10年ほど前から買うことがなくなっていた。結局読めるのは初期の小説を除くと、ジョイスと日本の古典を中心とする評論、翻訳のみに限られる。
20年近く前に、M新聞主催のある講演会で、学芸部の記者が丸谷講師を「何事においても才が一番」という趣旨の褒め言葉で諂うように紹介したのを聞いて、いやな気分になったことがある。なんとなく大御所、大先生という権威的な匂いがしたのである。その講演の内容は井上ひさしらとともに中国を訪ね、向こうの作家と交歓した折に、色恋を話題にしないことに気づいたということから、彼我の文学観の違いというものに言及したもので、当時「恋と女の日本文学」を執筆中であったのかもしれない。こうした評論活動が丸谷のホームグランドであった。
丸谷の書いた小説を読めば、近代ヨーロッパ文学をモデルに成熟した市民社会を背景とする風俗小説という丸谷の理想はおよそ実現から遠く隔たっていて、その意味で彼は挫折した小説家といってよいのではないか。果して丸谷の目指した方向に日本の小説の未来は拓けるのだろうか。中上健次の死以来、言葉の力の衰えが隠せない日本文学の将来はどこにその道が新たに拓けるのだろうか。
近く丸谷才一全集が発刊されるようであるが、いかほどの一般読書人がこれを購入するのか、その売れ行きに注目している。
私はといえば、買わない。
(2013年10月8日記)
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