2013年9月11日水曜日
今朝読んだProustの一節
<Non, Je ne vais pas au théatre, J'ai perdu une amie que j'aimais beaucoup: <J'avais presque les larmes aux yeux en le disant mais pourtant pour la première fois cela me faisait un certain plaisir d'en parler. C'est à partir de ce moment-là que je commencai à ecrire à tout le monde que je venais d'avoir un grand chagrin et à cesser de le ressentir.
<ALBERTINE DISPARUE> CHAPITREⅡ
À la recherche du temps perdu(Quqrto Gallimard)page2048
「いえ、劇場へは行きません。とても愛していた女友達が亡くなったのです」 そう言いながら私の眼には涙が溢れんばかりだった。それでいながら、そのとき初めて、それを話すことに喜びを覚えた。この時から、私は大きな悲しみを味わってきたことを、世に向かって書き始めたのである。そして、その悲しみを感じなくなり始めていた。
恋人のアルベルティーヌが落馬事故で不慮の死を遂げたことから、「私」は亡き恋人への悶々とした回想に苦しみながら過ごしている。そんなある日、ゲルマント公爵夫人にオペラコミック座へ誘われるが、そのとき「私」はこのように答えて、アルベルティーヌが死んだことを語ったのである。
感情は悲しんでいる、しかし、その悲しみを表現することは喜びである。<mais pourtant> という接続詞がなんと絶妙の効果を発揮していることか。
物を書くということは、ある事件、対象、感情の渦中から抜け出て、それを客体視することによって、それを死に至らしめるということだ、と語られているのである。
ここには、作家が物を書くことの原動力がどこにあるかが如実に示されている。作家は語ることの<plaisir>にかくも逃れがたく縛られているようだ。
(2013年9月11日記)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿